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京都家庭裁判所 昭和58年(家)289号 審判

申立人 山本静枝

相手方 三本忠臣

未成年者 山本康臣

主文

相手方は申立人に対し、未成年者の養育料として金二八〇、〇〇〇円を即時に、昭和五八年四月以降、未成年者が成年に達するまで、毎月四〇、〇〇〇円宛を、毎月一日に支払え。

理由

一  申立の趣旨

相手方は申立人に対し、未成年者の養育料として昭和五七年九月より一か月金一〇〇、〇〇〇円を支払え。

二  申立の実情

申立人と相手方は男女関係にあつたところ、申立人は昭和五六年九月一一日未成年者を出産し相手方は未成年者を同年一〇月一二日認知した。しかるに相手方は未成年者の養育料を支払わないので、本件申立に及んだ。

三  当裁判所が認定した事実

本件記録によると以下の事実が認められる。

1  申立人と相手方とは、小学校、中学校での同級生であつた。申立人は昭和四二年一月から○○カントリー(ゴルフ場)に勤務していたが、昭和五〇年一〇月頃、客としてごルフ場に来た相手方と再会、以後交際するようになつた。二、三か月後相手方より、「妻と離婚の話があり、もうすぐ離婚するから結婚しよう」といわれ、これを信じ肉体関係を持ち、以後継続して肉体関係を持つていたが、昭和五一年九月相手方が城陽市大字○○小字○○○××-××に居宅を買つたので、申立人と相手方はそこで同棲するに至つた。

2  相手方は宇治市○○×の××に本宅があり、ここに両親と、妻、二人の子が居住しているが、たまに帰ることがあつたが、むしろ、申立人との居宅を生活の本拠として内縁の夫婦然とした生活をしていた。一方宇治市○○○○町××番地で数名の工員等を雇傭して鉄工所を経営しており、ここから生計の資を得ている。

3  昭和五六年九月一一日申立人は相手方の子である未成年者を出産した。相手方は喜んで、すすんで同年一〇月一二日未成年者を認知した。

4  昭和五七年七月頃、申立人は相手方に新らしい女があることを知り、相手方も申立人に対し、「女がいる、その女との関係は今後も継続して行く。」と言い切つたため、両者間に紛争が生じ、申立人は耐えられなくなつて未成年者を連れて実家に帰つた。

5  申立人が実家に帰る際、相手方は未成年者の養育料は支払う旨述べていたが、その後申立人の度々の要求にもかかわらず、一向に支払おうとはしなかつた。そこで申立人は相手方に対し、当庁に養育料請求の調停の申立をした。しかし相手方は、前後四回の調停期日に終始出頭せず、ために調停は昭和五八年二月七日不成立に終り、本件審判に移行した。移行後、調査官は本件審判に必要な資料を得るべく、相手方を呼出したが出頭せず、家事審判官の審判期日呼出しにも応じなかつた。また相手方の妻も調査官の調査に非協力であつた。

6  相手方は申立人と同棲中、毎月一五〇、〇〇〇円の生活費を申立人に支給していた。また申立人も昭和五二年二月頃より、申立人の母が宇治市○○○、○○○○市場内で経営している、茶、食料品販売店に手伝に行き、月給八〇、〇〇〇円を得ていた。結局計二三〇、〇〇〇円で、申立人、相手方、未成年者の三名が生活して来たが、これでは生計費が不足して来たので、昭和五七年七月には相手方は申立人に一六〇、〇〇〇円の生活費を支給した。

7  申立人および未成年者が身を寄せている申立人の実家は、父山本小五郎(六九才)、母サキ(六四才)がおり、父の厚生年金月一一万円、母の前記店舗経営による収益月一八〇、〇〇〇円位で生計をたてている。申立人は母の店を手伝つているが、自身と未成年者を父母によつて扶養して貰つている為、月給は受けていない。

四  判断

1  父母の子に対する扶養義務はいわゆる生活保持義務であつて、自己の生活水準と同一程度の生活をなさしむる義務があり、父と母との生活水準が相違する場合は、その高い方と同一程度の生活をなさしむる義務がある。相手方は妻子があつたが、昭和五一年九月頃から昭和五七年七月頃までの間本宅にはほとんど帰らず、城陽市大字○○の居宅で、申立人と内縁の夫婦然とした生活をしていたのであるから、そこでの生活水準が当時の相手方の生活水準であり、未成年者は同居の子として、これと同一程度の生活を保持していたものということができる。そして反証のない本件では、申立人および未成年者が相手方と別れてからも、相手方はこれまでと同一程度の生活を維持しているものと推認できるから、同居当時の生活程度を知ることにより、現在の相手方の生活程度を知ることができる。ところで前記認定事実によれば、昭和五七年六月までは、申立人、相手方、未成年者は申立人の月収八〇、〇〇〇円と相手方の一か月支給額一五〇、〇〇〇円の計二三〇、〇〇〇円で生活をしていたが、これでは生活費が不足したので、同年七月には相手方は一か月一六〇、〇〇〇円を支給したのであるから、月計二四〇、〇〇〇円で三人の生活を維持し得たものであると解される。そこでこの金額を基礎に、相手方の当時、ひいては現在の生活費を、労研方式の総合消費単位により計算すると、別紙計算表(一)のとおり月額一〇七、二三四円であり、これと生活水準を同じくする未成年者の生活費は同表(二)のとおり月四〇、〇〇〇円である。

2  申立人は相手方と同棲していた当時母の店舗を手伝い月収八〇、〇〇〇円の給与を得ていたが、別れて実家に帰つてからは、引続き店舗の手伝をしているが、父母から自身および未成年者を扶養して貰つている為給与の支給は得ていない。しかし現実には店舗の手伝を前と同様しているのであるから、この扶養費の中に、少くとも月八〇、〇〇〇円相当の現物給与が含まれていると見るべきである。そこで現在における申立人の生活費を労研方式で算出すると、別紙計算表(三)のとおり月八一、五六二円となる。収入月八〇、〇〇〇円との差一、五六二円は申立人の両親からの援助である。そうすると申立人の両親からの援助を考慮してもなお父である相手方の生活水準の方が高位であるから、未成年者の生活水準は相手方のそれに比準すべきであり、これによると月四〇、〇〇〇円となること前記のとおりである。結局月四〇、〇〇〇円の未成年者の生活費を申立人と相手方がそれぞれ扶養余力に応じて分担すべきこととなる。

3  相手方の収入は相手方の非協力により正確には把握し得ない。しかし相手方は時々本宅に帰つていたのであるから、本宅の妻子の生活費を支弁していたもので、申立人に支給した月一六〇、〇〇〇円はそれ以外の余力金であつたことは明らかであり、そうすると相手方は少くともこの月一六〇、〇〇〇円より自己の生活費月一〇七、二三四円を控除した月五二、七六六円の扶養余力を有している、というべきである。これに反し、申立人の生活費は月八一、五六二円であるのに、(通例扶養余力は収入から最低生活費(たとえば生活保護基準額)を控除して算出するが、相手方の扶養余力算出に際し、現実の生活費を控除せざるを得なかつたので、これとの均衡上、また申立人の生活費八一、五六二円はそうぜい沢とは解せられないので、これを基礎とする。)現物給与とみられる収入は、前記のとおり月八〇、〇〇〇円であるから、扶養余力は全くない。そうすると未成年者の生活費は、全額相手方において負担すべきである。

4  父母の子に対する扶養義務は通例子が成人に達するまで継続し、また子の養育費は子が成長するにつれ増額するものである。しかし本件では申立人は老父母に未成年者とともに寄生し、また未だ年令四二才であるから、将来の生活は可変性に富んでいるし、相手方の収入、生活状況も正確に把握し得ない現状であり、将来の展望はもち論概観することは困難であるから未成年者の年令に従つた養育料を現時点で決定するのは適当でない。そこで未成年者が成人に達するまでの最低必要な養育料として、相手方に月四〇、〇〇〇円を負担させることとし、将来客観的状況がこの金額を不当とならしめるときは、その時点で新に審判を求めてこれを是正することを期待する。そうすると相手方は申立人に対し未成年者の養育料として、昭和五七年九月分より昭和五八年三月分まで、七か月分計二八〇、〇〇〇円を即時に支払うべきであり、また同年四月より未成年者が成人に達するまで、毎月四〇、〇〇〇円を毎月一日に支払うべきである。よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 野田榮一)

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